「まぁある意味、新年への厄落としだったんじゃねぇの?」





 「追い出される時間ぎりぎりまでカラオケして、そっから神社まで行って初詣。皆で神社でカウントダウンしようぜ―」

 歩いているだけでも耳が凍りそうな寒空の下、僕の隣りの奴はやたらと目を輝かせながら、今日である12月31日の計画を語ってくる。
 「・・・・・・なぁ、聞いてるのかよ」
 僕がマフラーに顔を埋めながら、これからの段取りを考えていると、隣の奴、が物凄く不満げに此方を見ていた。聞いているかいないかで言ったら、コンマ数秒の躊躇いも無く否と答えられるが、流石にそれを言ったら拙い気もしたので、僕は如何にも聞いてますよ、的な顔をしながら奴を見た。
 「だから、今年はお前も絶対来いよ!皆で年越しパーティだかんな!」
 「行かない」
 先生にばれるかばれないか、のぎりぎり瀬戸際の茶色に染めた髪を少し掻きながら、奴はあっさりと「だよな」と溜息を吐く。何故分かっていながらもあそこまで暑っ苦しく語ったのか。それなりに長い付き合いながらこいつの事はよく分からない。が、こういえば奴からも同じ言葉がまるっと返ってくるであろうから、僕はまたマフラーに顔を埋めた。
 「大体、毎年このやりとりを繰り返してるじゃないか。いい加減僕がそういうのには行かない事を覚えろよ、蓮見」
 呆れたように言うとこの十年来・・・・・・は言い過ぎだが数年来の付き合いの蓮見はあっけらかんと笑って、「去年は来なくても、今年は来るかもしれねぇじゃないか。いつ人の気が変わるか分かんねぇしな!」とほざいた。しかし、このやりとりを繰り返してもうすでに片手じゃ足りなくなってくる頃だ。大抵の人はその時点で誘うのを止める。それでも止めないこいつは、無頓着なのか鈍感なのか。恐らくはその両方だ。
 「僕は新年の準備で忙しいんだよ」
 「はぁ?何、大掃除でもするのかよ?」
 心底訳が分からないという顔をした蓮見に、僕は「まぁそんな所」と適当にあしらう。大よそ男子高校生とはかけ離れた発言をした自覚はあるが、だからと言って本当なのだから仕方が無い。31日1日と、僕にはやる事が山積み、とは言わないが、まぁ、そこそこにあるのだ。
 それでも五月蠅く喚いている蓮見の鳩尾に鞄をクリティカルヒットさせ、暫く鳥の鳴き声をBGMに僕らの間に静寂が落ちる。ああ、良い天気だ。良い天気なんだけど。・・・・・・うん。
 目が合っちゃったなぁ。 
 「・・・・・・僕ここで曲がる」
 「へ?いやお前の家もう一つ向こうの角だぜ」
 「ちょっと遠回りしてでもここの角で曲がる!無理!あれはない!せっかくの大晦日にあれはないです!」
 僕は蓮見のマフラーを引っ張りながら、無理矢理方向転換させる。何やら後ろから、「ちょちょちょちょ死ぬ俺死んじゃうから首締まってますよ!!」と騒ぐ声も聞こえたが、もう少しマフラーを強く引っ張って静かにさせる。静かに・・・・・・あれ、やりすぎた、か?
 「・・・・・・蓮見、死んだ?」
 「勝手に殺さないで下さい!!ちょっと俺お花畑×昔死んだじいちゃんが手招きっていう最凶コンボを経験しちゃったんですけれども!!お前やり過ぎ!」
 ああ、やっぱり五月蠅い。もう少し強く〆ておけばよかった。
 「・・・・・・はぁー。何、お前、どしたよ」
 「・・・・・・別に。何となく、あっちの道を通りたくなかっただけ」
 僕が先程通って来た道を眺めながらぼそぼそいうと、更に呆れた様な溜息と共に、ひょいっと顔をのぞきこまれる。
 「お前、顔真っ青」
 「・・・・・・ふぅん」
 そりゃあ顔真っ青にもなるだろう。現に今心臓は不規則に動いているし、学ランの中のシャツが汗でくっついて気持ち悪いし、汗を掻いているにもかかわらず、物凄く、悪寒がする。僕は頭を振って少しでもこれらの症状を軽減させようとした。「ふぅん、じゃねぇだろうよー」という蓮見の声がぐわんぐわんと歪んで聞こえる。
 「そんな真っ青な顔して何も無いはねぇだろ。何見たよ、お前」
 「何も僕は見てないし。さっさと行くぞ」
 僕が会話を打ち切り、歩き出すと、蓮見はあろうことか僕のマフラーを後ろから思いっ切り引っ張った。歩いていた速さがいきなりゼロに抑えつけられ、僕の喉がきゅ、と潰れる。何すんだ、と怒鳴ろうと思い振り向く。そりゃあさっきので死にかけたからって言って、こんな後ろからは卑怯だ。
 「蓮見!なにすんだ!大体お前、
 「なぁ、お前何見たんだよ」
 まだその話か。いい加減イライラしてきて、更に怒鳴ろうかと口を開く。だが僕が音を発する前に、蓮見の方が一瞬早く言葉を紡ぎ出す。

 「言えよ。七竈」



 小さい頃、僕の友達はちょっと透けてたり目が一つだったり猫が人語を話したり、そんな連中ばかりだった。それが、人間とは関わる筈の無いモノ達であると気付くのは、もう少し大きくなってからだ。そんな奴らと僕は一緒に遊び、過ごした。彼らは幼き僕にとって居て当たり前の、良き隣人であった。
 それが、実は皆にとっては見えず、存在しないもので。僕にしか見えていないと気付いたのはいつのことだったか。自分が見えているものが、実は他人からは見えていないのではないかという恐怖は、長らく僕を縛った。
 唯一の味方は母で、母も僕と同じように人では無いものが見えた。母は実に自由奔放に、人では無いモノと賭けをしては奴らから賞品をせびりとるのを趣味としていた。だがそんな母も僕が小学生の時に死んでしまい、僕は、他人よりかちょっと住人の多い世界に独りで暮らす事になった。僕の世界には、人と同じように、幽霊やら妖怪たちやらが住んでいる。
 そして、この蓮見は、忌々しい事に、僕が視える、という事を知っている人間でもあった。



 「・・・・・・おま、聞いてあんまり気持ちのいいものじゃないけど?」
 僕が深々と溜息をつきながら言うと、蓮見は僕のマフラーから手を離しながら、「ばっちこーい」と気の抜けた声で返事をする。それに僕も思わず脱力してしまい、黒い髪をがしがし掻きながら、やっぱりもう一個溜息をついた。
 「んじゃあ、言うけどな」
 「おうよ」
 「あの曲がる前の場所から数メートル先の右側にさ、空家っぽい家あったろ」
 僕が言うとしばし蓮見は沈黙し、思いだしたのか「ああー」と頷いた。
 「その家の庭に、さっき僕達が居た所からでも分かるくらい立派な木があったの、覚えてるか?」
 「あったなー、そういや」と蓮見は頷く。僕は言うか言うまいか、この期に及んでも少し悩みながら、マフラーをいじる。すると悩んでいる気配を察したのか蓮見が目を細めながら、「今更言わないなんて無しだぞ」と鋭く言ってくる。こういう時だけ敏感ってこいつつくづく面倒くさい奴だな・・・・・・。

 「あの木の枝でさ、大勢の人が、ロープで、首吊ってた」

 蓮見が眉を寄せる。「それは・・・・・・中々にえぐいな」というお言葉つき。やっぱりあれは普通の人には見えないモノだったか。
 「えぐいっていうか・・・・・・クリスマスツリーの飾りの様だった・・・・・・」
 恐らくここ数日は寝れない気がする。大晦日なのに。折角の目出度い日なのに。気分は最悪だ。
 「今までは多分、庭の方の枝でしか、その、無かったから気付かなかったんだろうけど、さっきみたら道路に出ちゃった枝で、うん、ぷらーん、と」
 「そういやちょっと枝が道路に出てたな。そんなもん見れば顔も真っ青になるわな」
 うんうん、と申し訳なさそうに頷く蓮見に僕は手を振る。ついでに頭も。
 「いや、それもあるんだけど、その道路の方と目が合ってしまって・・・・・・。うっかり繋がりというかご縁が出来てしまいそうな所を無理矢理断ち切ったから、反動がきちゃって・・・・・・」
 かといってそのまま放っておいたら僕も直ぐにあのクリスマスツリーの飾りの一員になってしまう。気分が悪くなるくらいで命が救えるなら儲けものだ。一番良いのは、蓮見みたいにそんな飾りすら見えない事だけれど。
 「そっか・・・・・・。今度から帰り道変えようぜ。そんな所通りたくも無い」
 「だな」
 僕は思わず思いだしたさっきの光景を必死に打ち消しつつ、蓮見の言葉に深く同意する。今まであの木の横を平気で通っていた事にもぞっとする。よくあるコンクリートの壁の隣りは、数多くのロープが垂れ下がっていたのだと思うと、げんなりしてしまう。
 「・・・・・・帰るか。お前、家まで送るわ。今にも死にそうな顔色してんぞ」
 「あー・・・・・・。大丈夫。慣れてる」
 「おいおい」と突っ込む蓮見に僕は「いや、まじで大丈夫だから」と重ねて、自分の家の方へ歩き出した。さて、こんな身体に鞭打って、新年の準備をせねば。

 妖怪やら幽霊やらは、役に立つ事は滅多にないというのが、この僕の今まで生きてきた中で見つけた真実の様なものだ。そしてそれらは往々にして、邪魔しかしない。例えば、今の様に。
 「お前ら・・・・・・邪魔だー!!」
 僕の怒鳴り声に、小物の妖怪たちは吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされない奴らは至極面白そうな様子で『何だ、今の怒鳴り声には気合が足らんぞ』などとほざいてくる。気合もなにも、今の僕にそんな物を要求しないでほしい。ただでさえ帰りあんなものを見て、その後家の掃除や料理等々こなしている僕を誰か褒めてほしい。その上妖怪たちのせいでおせちはつまみ食いされるは、掃除しても片っ端から邪魔されるは・・・・・・。
 「・・・・・・結界でも張っとけば良かった」
 僕は掃除機を支えに思わず座り込む。身体の不調はもう殆ど治ったが、やっぱり精神的に疲れた。そして疲れていると妖怪どもが調子乗って僕にひっつくので、余計に疲れる。そして更にくっついて、の無限ループ。
 『今日のお主は弱っておるのぅ』
 『おるのぅ』
 『どうせまた面倒事に足を突っ込んだのじゃろうて』
 『そうじゃそうじゃ』
 ・・・・・・いらっ。
 僕は苛立ちそのまま笑顔で顔を上げると、途端に連中が黙った。人の顔を見て黙るなんて失礼な。ものすごくいらいらしていると、僕の周りを取り囲んだ妖怪たちの隙間から黒猫がするりと僕の方へやってくる。
 なう。にゃお。
 てし、と僕の膝に乗せた右前足が可愛らしい。むっさい妖怪たちの中でも、この黒猫だけはだんとつに可愛い。まあ、尻尾が二つに分かれている事なんて、この可愛らしさの前では些細なことだと思えてから、だけど。同じ猫の妖怪でも、人型の猫は中々にシュールだ。
 「青柳ー。お前は可愛いなぁ・・・・・・」
 思わずうりうりと頭を撫でてしまう。一応これも妖怪だと分かっているんだけど。喋らないせいかもしれない。だからつい、勝手に青柳と名前を付けて普通の猫の様に接してしまう。でも嫌なら抵抗するだろうし、何より名前を好き勝手に呼ばれても怒らないくらいの関係でいるらしい。まぁ、こちらから何か固有名詞を付けないと、連中には呼び名が無いのだけれど。(それに大抵主従関係じゃないと本当の名前は教えてくれない)
 しばし青柳の肉球で癒された後、僕はよっこいせと立ち上がる。掃除は大体終わった。もうすでに帰ってきている父親と共に夕食を取ってから、本日のメインイベントの準備に取り掛かろう。
 
「・・・・・・それで」
 「うん?」
 「なんで蓮見君は僕の家に居るのかい?」
 お酒に、そのおつまみになる様な料理が入った子鉢。台所でそれらが乗った膳を僕は持ちながら、おせちを覗いている不審者に問う。本当に何で来たんだこいつ。皆で年越しパーティじゃないのか。折角心穏やかに年を越せるかと思ったのに。 
 しかし僕のちくちくとした視線にも平然と、「いや、なんとなく」とだけ堂々とほざいた蓮見は、またおせちの物色を始める。既に時刻は23時過ぎ。友人宅に来るには幾分か遅すぎないだろうか。既に紅白歌合戦の途中でリタイアした父は寝入っていて、僕と蓮見の声だけが空間に響く。
 「ん、お前なにそれ。お酒とかお前未成年だろー?」
 「ちげぇよ馬鹿。これはお供えもの」
 馬鹿、の所にアクセントを置き、僕は答える。どうやら僕の真意は蓮見に伝わったらしく、きまり悪そうにジーンズのポケットに手を突っ込む。
 「お供えって・・・・・・。誰に?」
 「恐らくは、歳神様に」
 僕も見た事は無いから知らないけど。僕がやるのは、31日日付が越える前に我が家の一室を綺麗に清め、おもてなしするお酒と料理を置いて、朝までその部屋を開けない事だ。母が居た頃から続いた慣習。それを今年も僕は行う。
 「なんというか、古風だなおい。そんなことやってる男子高校生、お前以外に居ねぇよ」
 それは僕も思う。
 「でも、朝に部屋に行ってみると、きちんとお酒が減ってるし。ならやらなきゃ逆に落ち着かないだろ」
 僕がそう言いながら部屋につながる廊下を歩く。後ろから蓮見も付いてきて「蒸発でもしたんじゃねぇの」とかほざいているので、足で奴の脛を蹴る。
 「あ、くそ。ちょっと料理が崩れたじゃないか」
 「え、それも俺のせい!?そう何でもかんでも俺のせいにするの止めろよ!」
 蹲り涙目になりながら蓮見が喚く。あー、五月蠅い。
 「二階で父さんがもう寝てるんだよ。少しは黙れ」
 「はーい・・・・・・」
 流石にこれ以上騒ぐと迷惑になると考えたのか、蓮見は大人しく口を閉じる。まぁぶつぶつまだ何やら言っているが、聞こえない事にして僕は件の部屋へ向かう。こいつにいちいち構っていたら、やれる事も出来なくなるというのが僕の経験則だ。
 我が家は、和洋折衷万歳な家で、しかもその洋の部分が現代風ではなく、明治大正時代の洋なので、中々にレトロモダンな家である。レトロモダンと言うとかっこいいが、要するに、古い。この家は両親が買い取ったらしいが、恐らくは母親の趣味であったと考えられる。まぁ中はそれなりに手を入れて暮らしやすくなってはいるし、父ももうすぐ建て替えたほうが良いんじゃないか、とか言いつつも一向に動こうとしないのは、やはりこの家には母の気配が色濃く残っているからだろう。父子2人で暮らすには余りにも多い部屋数だが、どうやらそれぞれに『住人』が居る様なので、いいんじゃないだろうか。もう誰が入り込んでるかなんて考えたくも知りたくも無い。悪いものは居ないのは確認済みで、後はもう面倒くさくて放っておいている。
 件の部屋は、そんな我が家でも一番奥まった所にある部屋だ。畳敷きで6畳。ちょっと奇妙な部屋で、この部屋には外に繋がる木の扉があり、普段は扉に鍵をかけるが、この日ばかりは鍵を外しておかなければならない。と、いうのもやってくるその何か、は外からこの扉を通って部屋に入るらしい。僕も母親から聞いただけだけど。
 「蓮見、汚すなよ」
 「へいへい。・・・・・・あー、なんかこの部屋緊張するんだけど。肌がぴりぴりする」
 「曲がりなりにも神と名の付くモノが留まるとこだしね」
 埃云々でも綺麗にしといたが、部屋の空気も清浄にしてある。何やら蓮見が唸りながら居心地悪そうにしていたが、蓮見が変なのはいつものことなので、僕は気にせず部屋の真ん中に膳を据える。床の間にもちゃんと花やらなんやらを飾ったし、元旦の準備も出来たし、これでやるべきことは終わった、かな。一応ね。
 「よし。ほら蓮見、さっさと部屋出て」
 この部屋の光源である行燈(部屋には蛍光灯は無く、電気も通っていない)をチェックしてから、僕がそう声をかけると、蓮見は弾かれた様に部屋から出て腕を摩っていた。そんなに普通の人にも分かるくらい綺麗にしたつもりは無いけれど。
 「お、もうすぐ年明けるぞ!行く年来る年見ようぜー」
 蓮見が暢気に僕の前を歩きながら言う。向かう先はテレビのあるリビングだろう。蓮見は出会った頃からしょっちゅう僕の家に上がり込んでは好き勝手に過ごしてきたので、我が家の大体の事は把握している。その上まだ若かりし頃は探検好きだったともあり、勝手に部屋を探索しては、住んでいる僕よりもどの部屋に何があるかを知っていたりするから忌々しい。結界を張って妖怪どもを入れなくさせれるなら、こいつ専用の結界が有ってもいいのに。
 「ていうか、蓮見、神社に初詣に行くんじゃなかったっけ?」
 「ん?ああ、俺帰るっつって抜け出してきた」
 何故また。あれだけ楽しそうに語っておきながら。
 蓮見の謎の行動に頭を傾げつつ、廊下を歩く。窓の外は真っ暗だ。雲も無く月が綺麗だ、と思いながら歩いていると、急になにかにぶつかる。
 「いっ・・・・・・!蓮見!急に立ち止まるなよ!」
 変な所にぶつかってむせながら蓮見を睨む。だが当の奴はただじっと窓越しに外、正しくは庭を見つめていた。
 「なぁ、お前の家に、あんなでけぇ木、あったっけ?」
 指さされた方をひょい、と覗きこむと、思わず僕の体が固まる。それこそ、ぴしっ、という擬音語がついても可笑しくないくらいに。
 「俺の記憶では、あそこは何にも無かったと思うけど?」
 人の家の庭まで把握しているこいつもなんなのか。しかし、今この時ばかりはその疑問も正しい。

 「また首吊りクリスマスツリーかよっ・・・・・・!」

 うわぁ、と蓮見が漏らす。突如僕の家の庭に登場した立派な木。それは明らかに僕達が昼に遭遇したあの人吊りの木で。木には数えられないほどの人・人・人。吊り下がった人が闇にぼんやり浮いて、ちょっとしたライトアップの様だ。いや、そうじゃなく。問題は何故それがここにあるのか。あの空家に生えていたのではないのか。
 「俺には人は見えねぇけどさぁ、なんかぼんやり所々が白く光ってるのは見えるな」
 「何で!?あの空家に木は生えてるんだろ!?何で僕の家に・・・・・・!」
 「わざわざ出張して来てくれたんじゃないか?ご苦労な事だよなー」
 蓮見・・・・・・。思わず深い溜息をついてしまう。折角の大晦日なのに。それももうすぐ年が変わってしまうって時に。何でこんな面倒くさいものが。
 「・・・・・・放って置いちゃ、駄目かな」
 「んー。俺はよく分かんねぇしな」
 「多分、心が弱ってる人があの木を見ると首を吊りたくなるんだと思うけど。でもその後自発的にか、それとも受動的にかは分かんないしな」
 「受動的?」
 「つまり、自分で首を吊るのか、それとも、あの木から何らかの形で強いられて吊っちゃうのか」
 後者だったら物凄く嫌だ。まぁ、その原因を作ったのはあの木だということには変わりは無いけれど。
 「なぁ、見なかった事にしちゃダメかー?俺早く炬燵に入りたい」
 「僕もそうしたいけど・・・・・・」
 暢気な事を言ってくる蓮見を一発殴りたくなってくる。こんな光景を見ずに済むとは幸せな奴め。こういう時つくづく自分のこの力を呪いたくなる。僕の視線の先、ぶら下がった人々は、何故か風も無いのにごそごそと動いている。うご、・・・・・・え。
 「ねぇ蓮見君」
 「何だい七竈君」
 「ぶら下がった人達がね、枝から落ちて、こちらにやってきているよ」
 そんで付け加えるならば、数人と言わず十数人はいるかな。首に縄が垂れ下がったままこちらにやってこられるのは、中々に精神上よろしくない。
 「蓮見。答えが分かった」
 「どれに対する?」
 2人で引きつった笑いを浮かべる。何かもう、人間追い詰められると思考が現実逃避始めるって、こう言う事なのかな。
 「少なくとも、僕らが首を吊ってしまうのは、受動的に、ってことだよ!」
 既に窓の外には吊り下がり歴もベテランな方々がうじゃうじゃと張りつき、此方を見ている。窓を叩く音が廊下に反響する。
 「うっお何か窓がガンガン鳴ってるんですけど!」
 「そりゃあ一杯窓を叩いてるからね!」
 「主語が何かなんて聞きたくねぇなおい!俺ら逃げなくていいのか!?見えない俺ですら怖いんですけど!」
 「い、家は結界でもあるから、その家の主人が招くか、どうかしないと入れないから大丈夫なはず!」
 多分!あー嫌だ気持ち悪い吐きそう。でも家の中に居る限り安心な筈。少なくとも僕はこいつらを招き入れる様な言葉は発してないし、特別な術をかけられてもない・・・・・・ん?
 「・・・・・・七竈君。本当に大丈夫、なのかな?窓、が開いちゃってきてる、のは、俺の幻覚、だよな?」
 もしかしてもしかしてもしかして。そっか力が強ければ強いほどかける術は簡単で良いんだよな。こちらよりあちらが強ければ術なんて必要ないし。ってことは、だ。いや多分まだこちらの方が強い筈。でもあっちだってもう人を何十人も吊り下げてきたんだよな。それもそれで滅多にないし、ぱっと見で分かるくらい力は強かった。関わりたくないと願うほどにね。じゃあだ、かける術も簡単で良いんだよな。それこそほんの少しの繋がりで――。
 「・・・・・・うっわあれかー。あれぐらいだったら大丈夫だと思ったのに!」
 一瞬吊り下がった人と眼があった。あちらにとってはそれだけで十分マーキングとなった、らしい。細い細い僕との繋がりを手繰り寄せ、僕という経由点を経て、家に入る。
 思わず頭を抱える。何でそんな物騒な木が平然とそこら辺に立ってるんだよ!普通怪奇現象とかが起きて近所の人が怖がって、お祓いなりなんなりするだろうに!
 「思い出したわ」
 僕が心で盛大に文句を言っている時に、蓮見が至って暢気にぽん、と手を打ちながら言う。
 「何をだよ」
 「昔聞いた話だけどな、ある木のせいで事故が相次いで切ろうとしたら関係者は謎の怪我に見舞われ、お祓いをしようとしたら、」
 「その人まで怪我した?」
 「惜しい。何があったか、首吊っちゃった。その木で」
 うっわー。お祓いすら効かないのかよ!蓮見もまた余計な事を思い出してくれて・・・・・・。
 「どう考えても俺らの目の前の木ですね」
 「そうですね」
 「っておい!!なに遠い眼してんだよ!!逃げんぞ七竈!」
 話を振ったのはお前じゃ。そう言う前に蓮見は僕の腕を引っ掴み先程歩いてきた道筋を逆戻りする。慌ただしく走る僕らの後ろから、確実についてきている。木張りの廊下を走っていると、不意に視界の端に黒いものを見つけた。
 「・・・・・・っ青柳!」
 「七竈、何してんだよ早く逃げるぞ!」
 黒猫は眼を眇め、なお、と一鳴きした。直ぐ後ろに土気色をして眼の辺りが真っ黒な、服装ももうよく分からないが様々な人達が声もなくやってきていた。青柳が猫又としてどの位の力があるのかは知らないが、流石にそこにいたら踏まれるかやられてしまう。僕は思わず青柳を抱えようと手を伸ばすが、その手が届くまでに蓮見が僕の腕をさらに強く引っ張る。
 「お前、さっさと走れよ!」
 「でも青柳が」
 「『あおやなぎ』?」
 なんじゃそりゃ、と言うかの様な顔をした蓮見に、僕は依然としてちょこんと行儀正しく座っている黒猫を指差す。その方向を辿った蓮見は、一瞬なにかを低く呟き、そして舌打ちした。
 「・・・・・・まぁその青柳?も妖怪なら自分で何とかするだろ!それよりも自分達の命心配しろよ!」
 直ぐに蓮見は僕の方を見てそう言うと、また僕の腕を掴んだまま走り出す。いい加減掴まれている所が痛いのだが、その痛さを上回るくらいの恐怖が後ろからやってくる。音も立てずに無表情で追いかけてくるのは、中々に怖い。気付いたらいつのまにか後ろに立ってそうだ。廊下の角を曲がる時にちらりと後ろを振り返ると、黒い影が一瞬宙を跳び、そして僕の視界は壁で遮られてしまった。
 取りあえず僕らは必死に走る。普段ならどうってことない廊下も、今はとても走りづらい。そして元来た道を辿った結果、終点であるあの部屋に着いてしまった。
 「七竈!この部屋入って良いのか!?」
 「うー・・・・・・・っ!」
 「緊急事態だから神様も許してくれんだろ!入るぞ!」
 蓮見が僕の返事も聞かずにさっさと襖を開ける。その部屋は先程と何も変わらず、しんと静寂に包まれていた。行燈の朧な光が部屋中を満たしている。
 「うっわ俺とした事が判断ミス・・・・・・逃げ場ねぇじゃん!外か!?外に逃げればいいのか?」
 「その扉の外はすぐ池だろ!」
 あいたー、と蓮見が頭を抱える。僕には最早風化している人のゾンビが追いかけてきている様に見えているが、蓮見にはどんなふうに見えているのだろうという思いがちらと頭を掠めた。そうこうしている間にも、部屋につながっている廊下の先に一団が見えてきて、さらに焦燥は募る。
 「と、取りあえず歳神様ごめんなさい!」
 僕は叫んで、部屋に据えられた膳に乗っていた銚子を手に取った。
 「蓮見!止まれ!」
 僕が言うと蓮見は先程まで騒いでたのをぴたりと止めて、静かに僕の傍に寄ってくる。僕の横に屈ませた後、僕は銚子の中に入っている酒を指に浸すのももどかしく、だばだばと零しながら僕達を囲むように円を描いた。
 「な、七竈君これは?」
 「お酒で結界張った。どれだけ持つか分からないけど」
 「俺が言うのもあれだけど、かなり雑だったよな円の描き方。本当に大丈夫か?」
 冷や汗垂らしながら僕を見る蓮見に、僕はここ数年でもトップファイブには入るだろうという笑顔で、「結界は、気合で張るものだよ。蓮見君?」と答えた。
 蓮見が同じくここ数年でも以下略な微妙な顔で黙ると同時に、部屋の開きっぱなしだった襖からぞろぞろと、人が入ってくる。中途半端に腐ってるのもあったりして、身近に見るとさらに気持ち悪さ倍増だ。思わず呻き声を上げそうになるがぐっと堪える。隣をそっと窺うと、蓮見も眉間に皺を寄せている所を見るに、同じものを見ているらしい。そういう力が無い人にまで自分の姿を見せれるってことは、やっぱりこいつら凄く強いんだろうな。物凄く嬉しくないが。強いと言う事は、僕が張った結界をあっさり壊される心配もあると言う事で。
 僕らの四方八方を、withロープな人々が歩きまわる。今にもこちらに手を伸ばしてきそうで心臓に悪い。来るな来るな来るな。そんでもって直ぐに出ていけ。もうすぐ新年なんだよ。お前らだって正月休みしてろよ。いつの間にか下になっていた視線を上にあげてみると。
 目の前に、目のあたりが真っ黒な、顔。
 
 「・・・・・・うわっ!?」

 心の準備をしていなかった所に、ホラー映画も驚きなものが目の前にあり、取りあえず条件反射で大きい声を上げてしまった。と、同時に部屋に居た人々が一斉に僕達の方を見る。隣で「ばかだ・・・・・・」と呟く声が聞こえたが、尤もなことで反論できない。それよりも、もっと問題なのは。
 「・・・・・・ごめん蓮見、あっちが僕達に気付いた」
 「言われなくても分かってるって!」
 でも本当に吃驚した。さっきから嫌な汗が流れて、手先が冷たい。
 「七竈!何かすげぇ呪文とか無いのかよ!」
 「あー・・・・・・ごめん頭真っ白で出てこない」
 人間こういう時にはパニックになって、普通なら出来るしやってる事でもすとーんと忘れてしまうのを実感した。何で動かないんだよ僕の頭!
 そうこうしている間にも、僕らの周りには人が蠢き、手を伸ばしてくる。思わず僕と蓮見は背中合わせになって焦った声を上げ続けた。僕らを中心に円を描く様に人々が群がり、そういえば昔こういうゾンビ映画を見たなと懐かしくなった。確かあの時は母親が存命で、怖がる僕を横目にリアリティがなって無いだの、設定がおかしいだのぼろくそ文句を言い、果ては次回作への参考に本物のゾンビを贈ってあげようと腕まくりをしていたり。きっとこんな状況でも母なら適当に追っ払い、逆に自分の楽しみの為だけに追いかけまわしたりするんだろう。妙に母親が輝いて思いだされたが、そんな事で現実からはそうそう逃げれない。もうあと一歩、ちょっと腕を伸ばせば届く所にまで、人々に群がられてしまう。まさかなこんな人生の終わりなんて嫌だ。言いようのない怒りに襲われながらも、思わず眼をぎゅっと閉じる。あー、まじあり得ない。無い無いこんな終わりなんて。僕の頭の中に、映画のスタッフロールが流れ始めたその時。

 一つ、除夜の鐘が響いた。

 その残響が薄れ、やがて消えた頃に、背中合わせをしている僕達の、僕からみて左から、小さく、かたん、と木と木がぶつかる音がした。
 「え?」
 ぽかん、として突っ立っているといきなり蓮見が僕の背中をぐいっと下に押し、その力に則って僕は思わず屈みこむ。何すんだ、と文句を言おうと蓮見の方を振り向くと同時に、強い強い風が、轟、と吹いた。風で髪の毛がもみくちゃになり、視界が邪魔される中、それでも見たものは、その風によって吹き飛ばされる人々。えええ何これ。
 轟。
 轟。
 風が吹くたびに人々は吹き飛ばされ、そしてどこかへ消えていき、どんどんとその数は減っていく。そして5・6、回風が吹いた所で風は止み、残されたのは風によって髪の毛が大変な事になった僕と蓮見だけだった。
 「・・・・・・えええええ?何今の。なんかあっさりとあいつら居なくなったじゃん。僕らの今までの苦労と恐怖は!?」
 「おま、言うに事欠いてそれかよ・・・・・・」
 脱力した様に蓮見が畳に大の字になる。僕は風が吹いてきていた方を見ると、丁度、かたん、と木の扉が閉まる所だった。どこかで除夜の鐘が鳴っている。・・・・・・ん?
 「今その扉が閉まったんだけど、誰が出てったんだろう?」
 思わずまじまじと扉を見つめてしまう。穏やかな色した木の扉は、当然僕の疑問に答えることなく佇んでいる。開けて確かめてみようかと思ったが、止めた。先程の風と言い、何となく、何が僕たちを救ってくれたのか分かった気がした。
 「いや、七竈さん。勝手に自分だけで納得しないで下さいよ」
 大の字のまま、頭だけ起し蓮見が僕を見る。僕はよっこらせー、と立ち上がった。さて、恐らく除夜の鐘が鳴った時に、零時になったのだろう。僕はもう、さっさと朝の準備が出来てる事を確認してゆっくりと炬燵でのんびりしたい。まだ何か喚いている蓮見を無視し、僕はさっさと部屋から出るべく歩き出す。
 「なぁ、今の風なんだったんだよ?」
 五月蠅い。心底、うざい。
 僕は方向転換して、大の字になり無防備な蓮見の腹に、スピードを付けて、右足を振りおろす。
 「げふっ!?ちょ、な、に、すんだよ!?」
 勢いよく起き上がりむせている蓮見に満足しながら、僕はさっさと廊下に出る。あー、すっきりした。
 「ちょ、おい七竈!俺にも教えろよ!」 
 まだ言うか。いい加減そのしつこさに感嘆すら覚えてくる。僕は溜息をつきながら、部屋の中心で胡坐をかき、涙目になりながらも僕を見つめる蓮見を見る。橙の光が蓮見の顔をゆらゆらと彷徨っていた。ああ、そういえばこいつこんな顔をしていたっけ。何だか久しく見ていなかった様な気がした。黙っていれば顔は中の上なのに。中身で全てが台無しな男・蓮見。こいつはそうクラスの奴らから言われている事を知っているのだろうか。・・・・・・知らないだろうな多分。
 僕はも一つ溜息をついて、蓮見が待ちわびている答えを教えてやるべく口を開いた。
 「この部屋」
 「あ?」
 「この部屋に来る予定だったお客人が、予定通りいらっしゃって、僕らを助けて、帰ってった」
 そんだけ。と、話を締めくくり、漸く僕は廊下を歩きだした。すると慌てたように蓮見が追いかけてくるのを感じたので、一応立ち止まり、「行燈の火、消しといて」。
 後ろで吹き消す音が聞こえるのを確認してから、僕は再び歩き出した。直ぐに蓮見も隣に並ぶ。あー、疲れた。こんなに疲れる年越しも初めてだ。それなのに蓮見は馬鹿の様に「歳神様?まじで来たのかよ!」とぎゃあぎゃあ騒いでるものだから、何だか余計に疲れてしまう。
 「あ、年越し蕎麦食べ損ねた!うっわー、七竈、ちょっとご馳走してくれよー」
 「はぁ!?ふざけんなよお前!お前に食わせる蕎麦なんて無い!」
 「そー言っても、七竈の事だから、準備してるんだろー?」
 図星である。だがそれは蕎麦を準備してある事に対してで、決して蓮見の分を準備している訳ではない。僕と父の分、きっかり2人分だ。
 「いいじゃねぇか。お前のお父さんはもう寝ちゃって、勿体ないから俺が食う!」
 ・・・・・・いらっ。だがまぁ、確かに蕎麦なんて今食べないと食べるタイミングを見失いそうだ。屁理屈だけは妙に上手い奴め。
 「・・・・・・あー、分かったっつうの。今から作るからお前も手伝え」
 「りょーかい。しかし凄い年越しだったよな」
 「確かに・・・・・・」
 二人ではぁ、と深く溜息を吐く。どうやら部屋のお客人、歳神様は家中に風を吹き通してくれたのか、家に居る妖怪たちが少ない。どうせ風で吹っ飛ばされたんだろう。しばらくしたらまた性懲りも無く集まってくるか。まあちょっとした大掃除になって良かった。
 「あ、そだ」
 蓮見がぱた、と足を止める。つられて僕も歩みを止め、何をまた言いだすのかと、眉をひそめる。だがそんな様子も蓮見には全く通じてないらしい。いつも通りへらへらとした笑みを浮かべて、
 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
 ちょっと呆気にとられて、僕は蓮見の顔を見つめてしまう。こいつ、敬語が喋れたのか。いや、そうじゃなくて。
 「あ、ああ。あけましておめでとうございます。今年もよろしく」
 少々挙動不審になってしまったのは致し方あるまい。あんまりこいつとはよろしくしたくは無いが、どうせこいつがまた変にうざいテンションで絡んでくるんだろう。僕は何となく気恥ずかしくなって、右足を一歩前に踏み出し、再び歩き出す。さっさと蕎麦を作って、こたつでまったりしながら食べたい。どうせこいつは今夜は泊ってくのだろうから、その後に神社に初詣に行ってもいいだろう。まぁ、僕が言わなくてもこいつが行こうと騒ぐのだろうが。
 二人でぎゃあぎゃあ言いながら廊下を歩いていると、廊下の先に黒猫が立っており、にあ、と一声鳴いた。