えいえんの、まいごたち
月が綺麗だ。
「それでね、あの子は凄く可愛い子だったわ。真っ黒いお目目をくるくると動かしてね。その度に下界の光がきらきらと映り込んでは移ろって、私はそれを見るたびうっとりとしたものよ。ああ、そう、私を呼ぶ時のあの声!あの声を貴方、聞いた事があって?」
僕は構わず、アスファルトで舗装された道を歩く。ぽつん、ぽつんとある街灯は、まるですぐに居なくなってしまう蛍の様だった。静かな、夜の道。僕はこの静けさが好きだ。だから、つい気が向いて、コンビニに散歩がてら行ったのがまずかった。全く、どうしてこうも、軽度の不幸と呼ぶべきものがしょっちゅうやってくるのだろう。
「凛として静けさを深く湛えた声だったわ。でも、そう、私の名前を呼ぶ時だけ、そこにうっすらとした甘みが混じったものよ。私はそれを聞くのがとても好きで、何度も何度も名前を呼ばせたわ。あの子だけよ?私の本当の名前を呼んでくれたのは」
『彼女』は、スカートの裾をひらひらと舞わせながら、僕の横でひっきりなしに『あの子』の話をしている。無論僕は『彼女』が誰かも知らないし、『あの子』の事なんぞ至極どうでもいいのだ。早く、いなくならないかなぁ。僕は内心そう願いつつ、黙って十字路を右に折れる。冴え冴えとした月の光は、『彼女』の黒髪をぼんやりと浮かび上がらせ、僕に僅かの冷えを与えている。もしかしたら、手にアイスを持ってるせいかもしれないけど。成程、月光はアイスか。ひんやりとして、よくよく見れば、バニラアイスの色に似ているかもしれない。ああ、どうでもいいね。
「あら、貴方の手に持っているのはアイスクリームね。あの子はチョコレート味が好きで、私はバニラが好きなものだから、二人で一つのアイスを買う時は、よく揉めたものよ。結局、クッキー&クリームで手を打つ事が多かったけれど」
へぇ、と思う。僕もバニラ味が好きなので、少しだけ『彼女』に親近感を覚えた。だが、僕がそれを口に出すことは無く、まっすぐ前を向いて歩く。すぐそこまで、夏がやってきている。空気に明らかに混じり始めた、夏の吐息に僕は些か閉口しながら、でも心は何処か弾んでいた。
「ふふ、この所昼は暑いでしょう?あの子は暑いのがダメだから、もうだれてしまったわ。今からそんなんでは、8月なんて死んでしまうのではないかしら。夏になったら、沢山遊ぼうと思っていたのだけれど、少し考え直したほうがよさそうね」
その方が良いと、僕も思う。かつーん、かつーんと虚ろに響く足音と、『彼女』の声をBGMに、僕は出鱈目に道を進んでいく。アイスは、幸いにもバータイプだったので、行儀は悪いが歩き食いだ。チョコでコーティングされたバニラアイスに、一口。チョコレートの程よい苦みと、バニラの優しい甘みが、僕を癒す。やっぱ、暑い時にはアイスだね。
「あら、貴方だけ食べて、ずるいわ。まあ、今日の私は気分がよいから特別に許してあげる。それに、もっと貴方にあの子の事を知ってもらわなくてはね」
僕は、右隣にいる、『彼女』を見やるが、生憎身長差で『彼女』の旋毛しか見えない。
「あの子と私は毎日のように遊んだわ。最初は屋敷の中だけだったけれど、こっそりと抜け出すようになって、二人で色々な場所に行ったの。お小遣いは沢山持ってたし、あの子は下界の事を色々知っていたわ。あの子と手をつないでいれば、私は何でも出来たのよ」
月が、微かに歩いた様だ。星は大人しく、月に従い、くすくすと笑い合っている。笑うくらいなら、助けてほしいな。そう思い空を見上げるが、彼らは月に纏わりついたまま僕を笑うだけだ。そりゃ、僕も迂闊だったけど、不可抗力だよ、これは。だって、道を歩いていたら、前方8メートルに『彼女』がいて、うっかり眼が合ってしまったんだから。
「色んな遊びをしたわ。街を舞台にして、鬼ごっこや、だるまさんが転んだ。でもそう、私たちが一番好きだった遊びは、かくれんぼね。あの子がいつ私を見つけてくれるか、ドキドキしながら待ったものよ。早く、早く、私はここよ!何度そう言ってあの子の胸に駆け込みたいと思ったことか。でも、あの子は見つけるのがとても上手で、すぐに私が隠れた場所なんか分かってしまうのよ」
くすくすと楽しそうに笑う『彼女』。僕はそろそろアイスを食べ終わる頃で、少し名残惜しくちまちまと食べている。
「でも私だって負けていないわ。絶対に見つからない場所を偶然見つけたの。そしてそこに隠れていたわ。するとあの子、私を見つけられなくて困っていて、でも私も出るに出られなくなっちゃったの」
ああ、あんまり必死に探しているものだから、出るタイミングを逃したのか。よくあることだね。僕は黙ってそう納得し、T字路を左に折れる。道の先にあるものは、『彼女』が一番知っている。
「ねえ、どうしたらいいのかしら?いい加減あの子の隣りに帰りたいのに、まだ見つけてくれないのよ。全く、あの子はどこにいるのかしら」
不服気に、『彼女』は胸元の赤いリボンをいじる。僕は、気にせず足を動かす。
月が、星を侍らせながら楽しげに道の先を照らしていた。全く、手伝ってはくれない癖に、ちゃっかり見てるなんて、なんて根性の悪い夜の女王様だろう!
「あら?」
『彼女』がきょとんとして、道の先を見つめる。そして、困惑気に初めて僕の眼をしっかりと見つめた。
僕は、『彼女』の顔を初めてきちんと見て、可愛らしい女の子だと至って普通の感想を抱いた。月が急かす様に僕にばっかり光を当てる。
「行って、待っておけばいい」
僕が『彼女』にそう告げると、『彼女』はしばし悩んだようだが、すぐに「わかったわ!」と言って軽やかに駆け出した。
すぐに、『彼女』の黒髪が闇に溶けてしまうと、僕は、振り返る。
「あっち」
振り返った先にいた『あの子』に、僕が『彼女』が向かった先を指さしながら言うと、『あの子』はほっとしたように笑い、僕の隣りを慌てたように通り過ぎていく。恐らく茶色みががった髪が、僕の横を一瞬通り過ぎて、しばらくすると後ろから一瞬だけ女の子の笑い声が聞こえた。
我儘な女王様が、事の顛末が知りたいと申すので、僕は苦笑しながらもう一度身体の向きを変え、『彼女』と『あの子』が向かった先へ足を進める。
道の先は、小さな湖だった。湖畔には、色とりどりの花が咲き、さらにその周りを木々が覆い隠している。月は湖に自分の姿を映しながら、身だしなみを整えている。それを星達も恥ずかしげに真似をして、微かに頬を染めていた。これだから、と溜息をつくと、月があっちあっちと囁く。どうせろくでもないものだろうと思いつつ、月が指さした所へ行くと、『彼女』のリボンが落ちていた。その先は、鬱蒼とした森だ。
全く、と僕は眉を寄せる。確かにここは見つからない場所だ、絶対に。
森の奥を見つめていると、見覚えのある黒髪と茶色の髪が、一瞬翻った。
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