とあるアパート一室にて。



   ああ、初めまして。いや何度か会ってはいるけどさ。一対一で話すのは初めてだろう?あの子を媒介として話した事はあるけどさ。正直、最初に連絡を貰った時、誰だろうと思ったんだ。いや、ちゃんとその後思い出したけれども。でもきみの情報なんて、あの子の後輩ってことしか知らないんだよ。ごめんね。でもきみもわたしの事をあの子の友人ぐらいにしか知らないだろう?だからお相子ってことで。うん、まあ、わざわざ家まで来てくれてありがとう。酷く出不精なんでね。出来る事なら家から出たくないんだ。
 
 それで、あの事件について聞きに来たんだっけ。電話貰った時も言ったけれど、あの事件にわたしは特に関わってないし、噂ぐらいの事しか知らないよ。それでもいいの?期待する様な新事実を求めてるなら、余所を当たってくれよ。ふぅん、想い出ねぇ・・・・。まあいいけどさ。

 そうだなぁ、わたしは彼女の事は知っていても、彼の事は知らないんだ。彼女とは2年間同じクラスだったし、よく話したから。あの子は何処となく不思議な子だった。優しくて、悩みとか真剣に聞いてくれて、ちょっと天然で、仕草の一つ一つが可憐で美しかった。みんなの人気者・・・というか、居ないと何処か覚束ない、という感じ。分かるだろう?だから皆「ひめちゃん、ひめちゃん」って。そう、「ひめ」だ。彼女の名前。漢字ももう忘れてしまったけれど。ひめこちゃんだったか、ひめのちゃんだったか。でも「ひめ」の2文字が入っていたのは確かだ。そうだろう?ああ、「ひめ」ちゃんで合ってたのか。もうすっかり忘れてしまったなぁ。わたしは彼女を何と呼んでたっけ。確か、「ひめ」で呼び捨てしていた気がする。

 そうだ。彼女の友人では、わたしぐらいが彼女を呼び捨てにしていたんだ。周りが「ちゃん」や「さん」を付けている中、わたしだけが。その事が私の心を幾分かくすぐったし、ちょっとだけ誇らしかったのを覚えている。だって、あの、説明のしようがないけど、特別なあの子を呼び捨てに出来るなんて、ちょっとしたステータスだったよ。そうそう、わたしはあの子とずっと一緒にいた。お弁当も、移動する時も、彼女の周りには常に何人かの友人がいたけれど、わたしはずっと彼女を見ていた。彼女の隣りに居続けた。彼女が発する音の一つ一つを、ある種の恍惚と共に聞いていたんだ。彼女の事なら知らない事は無いと自負していた。それは、単なる思いあがりと、後々嫌というほど知ることになるけどさ。

 はは。あの時の屈辱は忘れられないねぇ。知ってるかい?屋上での一連の出来事。もしかしたらひめはきみに話したかい?え、あ、きみもいたんだっけ。ごめん、全く覚えてなかった。そういえば、あの時あの場所には、わたしと、ひめと、彼と、もう一人いたね。それがきみだったのか。そっかそっか・・・。じゃあ、わたしが何故あんな事を仕出かしたのかも知っているという訳だ。ああ、そんな複雑そうな顔しなくても。そうだよ。

 わたしが、彼女、ひめの事を好きだったから。だから彼女をころしたんだ。

 勿論、わたしは女だし、ひめも女だ。つまりあり得ない恋。でもあの頃わたしは確かに彼女に恋していたんだ。プラトニックな愛。今思うと、それは行きすぎた友情の結果だったけど。いやー、若かったね。頭の中が彼女の事で一杯で、彼女の傍にいられればそれだけで幸せだった。彼女が笑えばわたしも嬉しくて、彼女が泣けばわたしは全力でその原因を潰していった。わたしこそが彼女の真の理解者であり、また彼女はわたしだけを必要としていると、あの頃は本気で思っていたんだ。例え彼でさえ、彼女の思いを本当には知っていないと思っていたんだから、笑えるね。

 でも、ね。あの日。あの日の夕方、わたしは屋上に行った。何故かは覚えていない。理由は覚えていないけど、その時、やけに夕日が紅く鴉が、「羅生門」じゃないけれどまるで胡麻をまいた様に飛んでいた。それだけは、脳裏にくっきりと刻まれた。まるで、これから何かが、起きそうな。そんな、酷く陳腐なシチュエーションを背景に、わたしは屋上へと繋がる扉を開けた。視界に広がる圧倒的な紅を背負って彼女は、まるで私が来た事もこれから起こる事も全て承知しているかのように、笑っていた。わたしは、その光景にしばし見とれ、そして、ゆっくりと彼女の横に立った。確か彼女は、屋上の柵に寄りかかって、小さな文庫本を読んでいた。そして、嗚呼、あの忌まわしい時間は始まるんだ。

 風が、彼女の黒い、おかっぱに近い髪形をなぶるのを横目で見ていた。ぽつりぽつりと、何か会話をした事を覚えている。ただ、内容までは覚えていないから、どうでもいい、普通の会話だったんだろうね。そして、わたしは、しあわせだった。本を持つその手も、足も、彼女の全てが愛おしくて、触れたい様な、でも神聖なものを冒したくない様な、でも綺麗なものだからこそ壊したい様な、そんな矛盾する心理を抱えながら、わたしは幸福に酔っていた。わたしは、ある意味、あの時が人生の絶頂だった。あの、躊躇いもなく人を好きになれた、あの頃が。そんなわたしの内心を知っていたのかいないのか、彼女はいつも通り、わたしに向かって話し、笑い、時に首を傾げた。わたしは彼女に自分を見て貰う為、ありとあらゆる、彼女が興味を持ちそうな話題を出していった。それは大概の場合において成功した。だけど、あの日あの時あの瞬間、わたしは悟ってしまったんだよ。気付いてしまった。彼女が発したであろう音で、全てが。

 ふと、彼女が、地上を見たんだ。そこには、帰宅する為校門へと向かう人々が通っていた。彼女は、柵から身を乗り出したりしてぷらぷらと足を揺らしていた。笑うたびにあの、白い足が黒いスカートを翻していた。だけれど、地上を見て、何かを認識した途端、彼女は一切の行動を止めその何かを見つめていた。さっきまで笑っていた彼女がいきなり無言になったんで、わたしは気になって彼女の視線の先を辿っていったんだ。そう、そこには、二人の人物がいた。男子と女子。遠目でよく見えなかったけれどね、男子を見てわたしは、黒ずくめの印象を抱いた。学ランの時期でもないのに、ちゃんと夏服の白いシャツが光を反射してるのに、黒く見えたんだ。夕日のせいかもね。もうすぐ、夜が訪れようとしていたから。まあ、とにかく、男子と女子が歩いていた。ああ、付き合ってるのかな?とわたしは思ったよ。仲がよさそうだったし。ああいうのを見ると、羨ましくなるね。私は笑いながらそう言って彼女を見た。その時のわたしの衝撃。彼女の表情。彼女の、恐らくは少年を見る視線。

 そして、「   」と名前を呼ぶ、あの声!

 ひめが何と名前を呼んだのかは分からない。鴉の声と風の音で、かき消されてしまった。音は、聞こえたけれど、言葉にはならなかった。その時だよ、わたしが崩れ落ちる様な絶望を知ったのは。だって、余りにも、ねぇ。彼女が、あの少年に恋していたのは、もう一目瞭然だった。だって、わたしは彼女の表情を、視線を、声を知っている。それら全ては、わたしが、彼女に捧げたものと、余りにも同じだった。声は嗄れ、心臓が五月蠅かった。頭を支配するのは、ひんやりとした、憎悪。その憎悪は、可笑しなことに、あの少年では無く、彼女に向かったんだ。パニックだったんだよ。でも、あまりにもその度合いが強すぎて、かえって冷静だった。わたしは彼女を憎んだ。一瞬の転換。

 わたしはあなたをこんなにあいしているのに。なぜあなたはわたしをあいしてくれないの。

 わたしの頭を支配していたのは、そのことだった。何て身勝手な論理だろうね。きみは、分かるかい?この後に続く、ある意味必然の考え。『あいしてくれないなら、××××××。』さあ、×に当てはまる語句を考えて御覧。はは。おぞましいね、我ながら、身の毛もよだつよ。でもあの時は、それこそ正しいことだと思っていたんだ。寧ろ、最上の愛の行為だと。

 きみも知っての通り、あの学校の屋上の柵の高さって精々肘ぐらいだろう?丁度その時、彼女は柵から身を乗り出していた時だったからね。つまり、言いたいのは、彼女は不安定な体勢だったってことだ。彼女は少年を暫し見つめてから、いつも通りわたしを見た。何の話してたっけ?そう言いながら。その瞬間、わたしの心はきまったんだ。もしその時、誰かが私の耳元で「止めなよ」って囁いてくれたなら、わたしは直ぐに彼女に土下座して謝っただろう。もし彼女が地面に降りて、「帰ろう」とでも誘ってくれたなら、わたしは躊躇いながらもその後ろを付いていっただろう。だが、誰もわたしと彼女以外には居なくて、彼女はいつまでも足をぷらぷらと揺らしていて。行動は一瞬だった。

 わたしは、ただ彼女の背中を押すだけでよかったんだ。




 ああ、もうそんな時間か。長い時間想い出話につき合わせて悪かったね。最初は、本当はあんまり気乗りしなかったんだけど、一回話しだすと止まらなくてね。面白くもなんともない話だったろう?聞いてくれてありがとう。本当に、ひめは今どうしてるんだろうね。わたしは、彼と心中したと思ってるけれど。あの二人は、片割れが生きている限り死なないんだから、二人で一緒に死ぬしかないだろうさ。しかし、あの二人ほど「心中」が似合う奴らもいないなあ。なんというか、太宰治が似合う様な二人だったよ。ああ、あの彼が書いた小説?わたしは読んでないよ。だってねぇ、どうせわたしの悪口しか書かれてないだろうし、読んで彼女のイメージを壊したくは無かった。知らない方が良い事って、この世にはあるもんさ。

 そうそう、さっきの×に当てはまる語句。君の考えた語句を教えてくれないかい?一見突飛だけどね、その二つの間にはきちんと関連性があるんだよ。
 
 ・・・正解。

『あいしてくれないなら、××××××』

『あいしてくれないなら、ころせばいい』

 簡単だったかな?